bloodtypebのブログ

小坂忠士と障害レースに向きあう、B型ふたご座のあたまの中。

熱中症(病気のほう)

わたしには娘がおります。
まだ1桁年齢なので、ぼやっとTwitterは見てますが、仕事終わって迎えに行って遊びながら見てることが多いです。


その娘が火曜の夕刻から高熱。
39度台です。
咳も鼻水もないし、熱だけ。
昨日病院行ったものの、今日夕方気づいたことがありました。

もしかして熱中症
そういえば、トイレの回数少ないわ。
それなら熱でも合点がいく。



自身でも、熱中症の経験があります
20代前半、今ほど熱中症対策商品がない頃でした。


エアコンはタイマーにて就寝。
いわゆる熱帯夜の7月の某日でした。


起きたら…体が凄く熱い。
頭も痛くて何だか気持ち悪い…そして、動くことが出来ない!!恐怖で涙が。
どうにもならず、近くにあったガラケーで救急車呼びました。



ストレッチャーで運ばれて、車内の涼しさに驚いた。
動けないけど、頭痛いけど気持ちよかった。


運ばれてからは、点滴を受けて3時間ほどで動ける?自力移動ができる程度には回復しました。情けないですが実母の迎えでなんとか。
タイマーが切れてから、脱水症状引き起こしていたんですね。
その日は湿度も高く熱帯夜だったのもあり、熱中症になったのではという診断。



あの日から(元々好きではなかった)夏が余計好きでなくなりました。
夏場のエアコンはほぼ入れっぱなしで寝ます。そうしないと怖くなりました。


熱中症は、屋外じゃなくても簡単になります。
外にいる方、それこそ競馬場に夏場張り付く方は血管の太いところ(身体に首のつく名前の箇所)を冷やすこと、経口補水液の持参、塩飴の持参、あとは時々日陰にいき休む。そろそろそんな時期に入っています。

好きな事で体調崩したら元も子もない。



同じ症状になる人が今年は減りますように。

教えてください(幕)

小坂忠士さんの新しい幕を作りたいのです。


デザインや文章を決めてはいるのですが、肝心の小坂忠士さんのイラストが、どうにもうまく描けない。


18歳になるまでは、なにかしら絵描き毎日してたし、学校の行事やクラス紹介で担任の似顔絵を毎年描いていたはずなのに。
体育祭の応援ボードもリーダーぶって指導してたと思えないw
もともと上手な方でもないですが、描ける能力を喪失してしまいました。



過去に絵付きの幕を依頼して満足された方、もしくはこのブログ見て予算相談してくれたら似顔絵イラスト作りまっせって方がいたら教えてください。



因みに1枚目の応援幕については、シルエットの馬の絵を色々参考にして全て自作で作ってます。

片頭痛と戦うbloodtypebの意外な結末

長年悩まされている片頭痛

 

最近、起こりはするものの数が減った。

競馬場や職場での片頭痛、本当につらかった。

 

 

自覚があるのは中学生。市内の病院でMRIも受けて、片頭痛、と。

高校、大学、最初の会社辞めて、転職先の医療現場で…とにかく月3回程度出ていた片頭痛

 

脈動する痛み、吐き気、めまい。目のチカチカ。

暗いところでおさまるのを待つしかない。

 

 

4年前の妊娠中、カフェイン摂取制限があったので、

今も流れるままカフェインを制限してみている。

 

市販薬には無水カフェイン50mgとか書いてあるでしょ。

あの粒に50mgも入ってるの、今ではちょっと恐ろしい。

気にする方も多いからか、カフェインが入っていない風邪薬、巷に増えましたね。

 

あと、コーヒー紅茶緑茶。お茶関係はカフェインが多い。

飲むと気分すっきりしますもんね。

コーヒーは1杯で100mg超え、紅茶でも30mg。意外とウーロン茶も100mg。

ウーロン茶なんておいしいのに飲めないのか…と悲しくなりましたが

ウーロン茶の効能を考えると、今の私には相性がよくなかったのかもしれない、たまに飲む程度でいいか、となりました。

(ウーロン茶って、油多目の食事と摂らないと、喉のエモリエントが奪われちゃうので)

 

カフェイン制限して以降、治りはしないものの、めっきり数が減った。

カフェインっていうのは、脳を興奮させて一時的に倦怠感を鎮めるもの。

血管が広がる分、脳の神経に痛みが伝わりやすくなり、痛みも増えてたんだね。

 

 

カフェインはなかなか危険な代物。

市販のエナジードリンク毎日がぶ飲みしてれば、致死量もいける。

 

片頭痛にお悩みの方が居たら、カフェインレスという選択肢、アリだと思います。

食事から知らない間に摂取もするので、1日50mg以下くらいからどうでしょう。

小坂騎手と出会ってからの競馬生活

小坂騎手が好きになってから、好きな平地馬はもちろんいるものの

彼が乗る平地馬、障害馬に重きを置くことが多くなった。

 

長く見てきて、小坂くんに似あう言葉は「質実剛健」と思う。

いいところは、真面目で馬にまっすぐ向き合うこと、生まれ持ったバランス感覚。

悪いところは…言わないよ!!

 

彼を好きになった当初は、彼の師である境直行先生がまだ現役であったこともあり、

平地が3鞍に障害1鞍、みたいな結構まる1日競馬場にいて応援することも多かった。

平地も障害も乗って勝てる騎手って、応援するの凄く楽しいのな!(鼻息荒い)

コンデジカメラで追いかけていたけど、もっと綺麗に記憶として撮りたいと

一眼レフまで買うことになるとは思いもしなかったけど。

 

 

 

ご存知の方もいるかもしれないが、小坂騎手は中学時代

器械体操をしていた事もあり、バランス感覚は他の騎手より長けている。

(2009年の中日スポーツ・草野さんのコラムにて中学時代の話があります、後ほど載せられれば)

菊花賞馬・ビッグウィークが入障してコンビを務めた彼が、未勝利戦で

あわやという場面があった。彼は抜群のバランス力で持ちこたえ、勝利を手にした。

 

 

そんな彼でも落馬で負傷し、長く戦列から離れていたことがある。

2010年7月。小倉の障害で右橈骨遠位端骨折。

 

心配だったのは勿論だが、応援している小坂君が長期離脱するなんて初めての事。

彼のいない障害レースは、個人的に面白さ半減だった。

お手馬だった平地の馬が乗り変わって勝ったりすると、それはもう悔しくて。

彼が長期離脱すること、本当に滅多にないんですよ。

(2016年、調教中の手首骨折で長期離脱したときも落ち込んだな…)

 

 

そんな小坂君も復活し、さらにこちらも長きに渡る休養から明けた

コウエイトライとコンビで勝利を掴む場面を

私はようやく、やっと、現地で見ることができた。

 

勝ったときの小坂君はとても自身のスタミナ的に苦しそうだった。

当然ながら、待ちわびていた勝利なので、それでも嬉しそうだった。

そんな姿を見られただけでも、おめでとうと言えただけでも幸せなんだけど…

コウエイトライのと小坂君のコンビでの写真に

「ふたごさんへ(実際は本名)」と書いてもらえた事、一生忘れない。

 

 

平地での色濃い思い出といえば、シャアとトップカミングとラヴァーズポイント。

シャアは上賀茂Sで粘り勝ちしたときが彼の馬っぽいなと思ったし

訳あって素敵な場所から見ることのできた、プロキオンS、オアシスS。

楽しそうに騎乗馬に乗ってる顔が、今でも思い浮かぶ。

 

 

トップカミングは、中山での夏至Sから、すっごい頑張ったと思った3着から、

日経新春杯でのあとちょっとの差し6着とか。

ラヴァーズポイントに関しては、現地小倉まで小倉2歳Sを見に行って

あとちょっと足りなかった3着…。

小倉2歳Sの日、同じ勝負服の別の馬を、通り雨の中勝っちゃった記憶も新しい。

 

トップカミングとラヴァーズポイントは、境先生の馬である事が要素。

小坂君も、境先生に重賞勝利をプレゼントしたかったんだよね。

私も、小倉2歳Sでは、叶うんじゃないかと思って見に行った位なので。

 

 

重賞勝利か…今度、いつ見られるんだろうな。

彼の目線と同じ場所で同じゴール板を先頭で駆けるのを見たい。

馬のめぐり合わせだから、わがまま言っても仕方ないけど。

 

いつかまた、見せてね。

bloodtypebの、あらゆるきっかけ

小坂騎手を好きになったきっかけは、ふとした瞬間のレース。

 

 

詳しい話は伏せたいが、ある分野で業界一の会社に勤めて3年目から、身体のバランスを崩していた。

深夜、名阪国道を雨で走り、トンネル明けの急カーブでスリップさせて2回転して自走不能になったこともある。

冷静に振り返ると、いつ死んでいてもおかしくなかった中での競馬との出会い。

(実は2005年に1度だけ、会社の同期から競馬に触れる機会があったのだが、そのとき知っていた馬の名前はディープインパクトステイゴールドのみである。)

 

 

小坂騎手との出会いは、まだ少し先。

2008年のCBC賞スリープレスナイトが最初に出会った馬。

 

彼女のひたむきな走りは、私の死にかけた心に、光を灯してくれた。

騎手は、上村洋行。どんな人かと調べるうち、飛蚊症や騎乗機会の減少という絶望の経験を持っている人だった。

 

みんな頑張っているんだ。

私も生きよう。と、僅かながら感じた。

 

ビギナーズラックとはよくいった言葉で、この年の宝塚記念はピンときて

エイシンデピュティメイショウサムソンインティライミを買った記憶がある。

当たる面白さも経験できた。

 

 

競馬を好きになった当初は、福永祐一騎手の騎乗が好きで、インターネットから

アメリカンオークスシーザリオのレースを、よく眺めていた。

 

 

少し時は流れ、京都競馬場阪神競馬場にも足を運べるようになった中、

障害レースをふと現地で眺めていると、決勝線手前を、なんだかかっこいい鞭裁きで馬をおっつけ、勝たせてる人がいた。勝った馬は、確かマーブルジーン。

 

それが、小坂忠士騎手。

 

この人なに?あの追い、かっこいい!が当時の観想。

ジョッキー名鑑でプロフィールを見ると、学年同じだったことを知って益々興味が。

気づいたら、2018年の今まで平地も障害も見続けていたのです。

 

この話の次を書くとしたら、もう小坂騎手が大半を占めるので、次の機会に。

好きな騎手のいた福島から、居住地方面の大レースを眺める

4月14日。

 

福島競馬場に、ハトマークワルツが勝利の算段があったので強行遠征。

 

まず思ったのは、小坂忠士がJ.G1に乗らないのは何年ぶりだろうか。

もちろん、馬との巡り会わせがあるのだが、やはり今回は乗る馬がない、乗らないという事実が目の前にあった。そして土日は福島騎乗。

 

平地で勝てることももちろん嬉しいのだが、大一番にいないことへの疎外感を勝手に背負ってしまう。

 

見たかったハトマークワルツは、福島8Rで最後の直線で先頭をきったものの、差し足鋭い馬に差され3着。

 

レースが終わると、私は付き添いの人間に合わせて動き、11Rを静して待つ。

 

 

緊張と不安でひとり涙交じりになるモニター前。

カウントダウン、ファンファーレ、発走。

 

アップトゥデイトをピッタリマークするオジュウチョウサン

最後の4角は、既にオジュウの独断場。

 

アップだって決して悪くない。が、相手が化け物の飛越、走りだった。

感嘆した、驚嘆した。自然と涙が出た。

 

全馬完走できたことに安堵し、王者をたたえたその直後。

凄く胸が苦しくなった。

 

「この怪物に挑んで勝つにはどうしたらいいの」

「小坂のお手馬でこの怪物に挑むにはなにが必要なの」

「小坂が築いてきた、女傑コウエイトライとの記録はこんな堂々と破られるものなのか」

 

どれだけ考えても辟易する。

 

 

恐らく同じ場所からモニター越しに見ていた小坂騎手。

この場にいないレースを、どう感じ、今後どうしようと考えたのか。

この日彼が勝っていたら、真っ先に聞きたかった。

 

 

この日、中山にいても同じことを私は考えていたに違いない。

 

 

置かれた状況を考えるのも大事だが、障害レースはまだ続く。

ダークホースやニューホープが出てくる可能性、そして願わくば小坂騎手の勝利を見に、私はまた競馬場で障害レースと巡り合うのだ。

 

 

タナトス▲原田和真騎手

2016.3月より減量復活の原田和真騎手。

その恩恵が絶対生きる時がくるよ~。頑張ってね~。

 

タナトスってそういえば、馬主が逮捕されて今は別の馬主さんになったね。

(榮義則氏→リアライズの工藤圭司氏)

f:id:bloodtypeb:20160306112616j:plain

)

f:id:bloodtypeb:20160306114849j:plain

f:id:bloodtypeb:20160306112733j:plain